2019年

アメリカ大学野球留学 竹石 寛

自分の夢に向け、まずは一生懸命、野球と勉強に励みたい

日本の受験勉強でやってきたことを活かすことができた

私が、アメリカ大学野球留学を決意したきっかけですが、もともと、高校野球を引退してから、目標としていた日本の大学野球を目指し、神宮の舞台で野球がやりたいと思っていました。学校の先生も自分が行きたい進学先にも知っており、「お前の成績では厳しいだろうから、落ちたら、外国に行って野球すれば」と提案してくれました。

正直、高校の勉強の成績が振るわなかった私は、自分の成績なら受験に失敗する前提で話されても仕方ないかと、自分に落胆しつつ、他人がしないようなことをすることが快感な私は、「アメリカの大学で野球するのもありだな」と思い始めました。これが、私がアメリカへ大学野球留学をしたいと思ったきっかけです。

 しかし、それからも日本の名門大学で野球をしたいという憧れの気持ちのほうが強く、高校3年の2月までは受験勉強を必死に頑張りました。今この期間を振り返ると、受験科目が英語と小論文で、後にアメリカ留学を目指すうえでは、決して無駄なことではなかったと思います。残念ながら、結果は不合格でショックはありましたが、家族と正式にアメリカ留学をすると3月中旬に決めました。

Hiromu Takeishi

3つの夢を叶える

1つ目はメジャーリーガーになり、活躍することです。今、メジャーで活躍しているメジャーリーガーの多くが身長180センチ以上の恵まれた体格をしている人です。私のように170センチ代の選手は野球をするには不利だとされています。しかし、私は野球に身長や体格は関係なく、すべての人が活躍できると信じています。現在でも、身長170センチ代で活躍している選手はいますが、自分もその一因となり、身長や体格で夢をあきらめようとしている子供を減らすことに少しでも貢献したいです。こんなに小さい日本人でもやれるんだというところを世界に示そうと思います。

2つ目の夢は、国際連合の職員になることです。この夢を持ったきっかけは、中学生の時に社会科の教科書で見たアフリカの難民の子供の写真でした。その子供は栄養失調のため、あばら骨が浮き出ており、腕や脚は今にも折れそうなほど細く、遠くを見やる眼には希望など微塵もないように見えました。そして自分に何ができるかを考えました。

そこで思い至ったのが国連の職員になることでした国連の職員になれば、世界で起こる紛争や人権侵害、宗教問題など、難民が生まれる原因となる問題を中立の立場で解決することができます。私は難民が生まれる根本を解決したいのです。そして、アメリカに留学することは世界をよく知ることや、世界に人脈を広げられるという点で、私の夢を達成することにおいて、かなりの利点になると思います。野球を引退した後に勉強をし直し、必ず国連社員として世界に貢献したいと考えています。

3つ目は、私は、幼稚園年長から中学二年までスキーチームに入り、アルペンスキーをやっていました。11月から5月まで休日は毎日魚沼のスキー場で練習していました。そこで見てきた自然を相手にする農業にあこがれるようになりました。これが私の三つ目の夢です。私が所属していたチームのコーチが民宿と農業を営んでおり、合宿は毎回コーチが経営している宿に泊まり、コーチが栽培したお米を食べていました。そのお米のおいしさに私は感動し、いつか自分もこんなにおいしいお米を作りたいと思うようになりました。

また、農業を営むだけでなく、スキーチームのコーチのように冬には子供たちにスキーを教え、夏には近くの少年野球チームで野球を教えるというような生活ができたら、とても幸せだと思います。最後の夢は、誰かのためにというより、人生の最後に自分が一番楽しいと思えることを存分にやりたいという、自分のための夢です。それまでの二つの大きな夢を必ず叶えて、年寄りになった時には自分のために時間を使えるようにしたいです。

 このように、私には大きな夢があります。このすべてを達成するには、これから新たに始まるアメリカでの生活で、どれだけ頑張れるかが肝心だと思うので、自分の夢に向け、まずは一生懸命、野球と勉強に励みたいと思います。


竹石 寛
カリフォルニア州Glendale college進学
アメリカ大学野球留学

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